そもそもゲームのモデルの概念そのものを理解できているのか

おはようございます。コーヒーのハンドドリップにはまっていると昨日言っていましたが、久しぶりにサボテンなど多肉植物も仕入れて楽しんでいます。彼らにも、育て方の正解がなくて正解をつい求めてしまう僕には偉大なやつらです。サボテンによって僕にはサボさんという呼び名が付いた頃がありました。村松裕樹とはまた違う人生をもらえている時があって、またそれをここでやっています。

自分の趣味を整理させてもらうと、今いちばんはブッシュクラフト、沢登りや山登り、コーヒー、多肉植物、バードウォッチング(まだはじめてない)、人狼ゲームなど、いつの間にか割と色々なことやっています。動画編集もだ。

すべては興味への挑戦、浅く広くという自分には今までなかったことです。狭く深くに挑戦しているフットサルという世界の中で、他ごとはアサビロで色々ふれてフットサルに活かしたいも思っています。

昨日はゲームのモデルについて勉強しました。もう何回目になるでしょうか、何度勉強しても自分に足りなかったなぁとか、その時々で自分に必要なことを感じることになっています。オンラインサロンで投稿します。この毎度の勉強の中で、ゲームのモデルについて感じることがあります。それは何となく理解しているけど何となくしか理解されていないしできていない。

そのシーズンの監督と選手からつくられシーズンの中でモデルに近づいて行くように努力するが、ただそこに突き進む訳にはいかなくて、そのチームの経過によってバリエーションが必要だ。ただし変えられるものはあってもアイディアは変えてはならない。

トレーニングは、戦術的ピリオダイゼーションにおいてはコンセプトは対象にされず識別するためのものであるようだ。コンセプトをトレーニングすることは最近大切と言われることだが分けることを好まない、この方法論ではシチュエーションに対して複雑性を調整することでトレーニングとする。という考え方にあると捉えていますが、どうですか。柔軟だからこそ極端な思想というか…今はいいとこ取りでいいと思っていますが、そのいいところも自分の学びが変えていくのでしょう。ただし、選手たちやスタッフに理解されながら進めることが鍵。

もしコンセプトをトレーニングしないと言っても、コンセプトをトレーニングしているように周りから見えて、でも実は複雑性を抑えてトレーニングしているんだよ、なんて言う指導者もいるでしょう。見た目は同じように見えても、それぞれの指導者がどこまで考えられているか。おもしろいところですが、ここでの差別化、違いのアピールはしていかないと理解されないことも勉強しました。

チーム指導は勿論、自己アピール的にしたくないですが、そのような振る舞いがチームに必要ならば、やるべき時が必要なんだと、そこは柔軟に行きたいと思いました。アイデンティティは失いません。